前の10件 | -
クロスローズ日本ツアー [ご紹介]
クロスローズを日本に招いたKさんによると、仙台のチャリティコンサートのチケットは完売したようです。東日本大震災後に「あすという日が」を歌って全国に知られた仙台市立八軒中学校合唱部をゲストに迎えるなど、話題性があったということもあったらしいとのことでした。
そこで、「おめでとう、良かったですね。」と言ったのに、Kさんは浮かない顔をしているのです。わけを聞いたら、仙台の会場は小さく、おまけにチケット代が安いので、チケットを完売しても、経費的には真っ赤な赤字なそうなのです。
一方、東京ショーのチケットの売れ行きはあまり良くないらしく、それで仙台の赤字を補填するのが大変だというのです。
いったい、どうしたらよいのでしょうね。
そこで、「おめでとう、良かったですね。」と言ったのに、Kさんは浮かない顔をしているのです。わけを聞いたら、仙台の会場は小さく、おまけにチケット代が安いので、チケットを完売しても、経費的には真っ赤な赤字なそうなのです。
一方、東京ショーのチケットの売れ行きはあまり良くないらしく、それで仙台の赤字を補填するのが大変だというのです。
いったい、どうしたらよいのでしょうね。
バーバーショップ・ハーモニーが関東でも注目されてきた! [感想とご紹介]
日本におけるバーバーショップ・コーラスは、最初は女声も男声も関東に始まったが、その後の広がりは西日本のほうが目覚しく、かつ、広く歌われているように感じます。
ところで、うわさで聞いたのですが・・・
東京都合唱連盟が毎年開催している東京都男声合唱フェスティバルでは、公募合唱団が結成され、1ステージ歌います。
今年の公募合唱団が歌うのはナント(!)バーバーショップ(!!)だと言うのです。
これで関東の合唱人にもバーバーショップが広まると良いのだがなあ、と思っています。
そんな時も時、バーバーショップのチャンピオン・カルテットの来日が発表されました。2009年度チャンピオン・カルテットのCrossroadsが日本ツアーを行うと言うのです。情報を集めましたので以下にご紹介します。
スケジュールは、6月10日(日)名古屋(プロ音楽家のメリー・アーティスツ・カンパニーとの共演)、6月12日(火)仙台(チャリティコンサート)、6月14日(木)東京(単独ショー)、6月16日(土)伊丹(単独ショー)となっています。
東京都男声合唱フェスティバルの公募合唱団に参加を考えておられる方は、雰囲気を感じ取るという意味からも必聴でしょう。是非お聴きになってください。

6月12日(火) 東日本大震災日本復興1周年プラス3ヶ月 クロスローズ チャリティコンサートin仙台

6月14日(木) クロスローズ東京ショー

6月16日(土) Crossroads伊丹ショー
大いに楽しみです。
ところで、うわさで聞いたのですが・・・
東京都合唱連盟が毎年開催している東京都男声合唱フェスティバルでは、公募合唱団が結成され、1ステージ歌います。
今年の公募合唱団が歌うのはナント(!)バーバーショップ(!!)だと言うのです。
これで関東の合唱人にもバーバーショップが広まると良いのだがなあ、と思っています。
そんな時も時、バーバーショップのチャンピオン・カルテットの来日が発表されました。2009年度チャンピオン・カルテットのCrossroadsが日本ツアーを行うと言うのです。情報を集めましたので以下にご紹介します。
スケジュールは、6月10日(日)名古屋(プロ音楽家のメリー・アーティスツ・カンパニーとの共演)、6月12日(火)仙台(チャリティコンサート)、6月14日(木)東京(単独ショー)、6月16日(土)伊丹(単独ショー)となっています。
東京都男声合唱フェスティバルの公募合唱団に参加を考えておられる方は、雰囲気を感じ取るという意味からも必聴でしょう。是非お聴きになってください。

6月12日(火) 東日本大震災日本復興1周年プラス3ヶ月 クロスローズ チャリティコンサートin仙台

6月14日(木) クロスローズ東京ショー

6月16日(土) Crossroads伊丹ショー
大いに楽しみです。
北村協一メモリアルコンサートMISSIONを聴いて [ご紹介]
北村協一メモリアルコンサートMISSIONが2012年1月15日(日)にすみだトリフォニー大ホールで開催されました。
ホールのほんの少し手前で東京スカイツリーが真正面に見える横丁があり、私は初めて見たので写真を撮っていたら、後から来た人たちも気がついて、大勢の方がカメラを向けていました。

邪魔者無しに東京スカイツリーの全体が見えた

すみだトリフォニー
プログラムの表紙は凝ったデザインで、スキャンしてご覧に入れるのに、コントラストを上げたり、明るくしたり、文字が見えるように大変苦労しました。

"MISSION"、月日、ホール名を読めますか?
演奏は、4つの単独ステージと合同合唱でした。

プログラムの演奏曲目
第1ステージ:関学グリーのSpiritualsの選曲は、堅い曲が並びがちなこのような形式の演奏会では大事な配慮で、よく知られた曲を聴いて私などは昔を懐かしく思い出していました。
第2ステージ:上智グリーの委嘱作品の3組曲から4曲を歌いましたが、どの曲も詩の内容が軽く、言葉を聞き取れても「それでどうしたの?」といった感じで、気持ちに訴えるものが無かったのが残念でした。ところで、3曲目の「老雪」の歌詞が聞き取れなかったのは何故だったのでしょうか。
第3ステージ:同志社グリーは定番「水のいのち」の抜粋を歌いましたが、何故歌われる機会が多いのかが良く分かりました。分かりやすい内容の歌詞が良く聞き取れて、かつ、きれいなメロディにあふれる作曲とがあいまって、歌っても聴いても心地よい曲なのです。(演奏の良いことももちろんですが。)
第4ステージ:ブラームスの"Naenie"("ae"は正しくはaウムラウト)を歌った立教グリーは、32人中楽譜を持っていたのはたった5人、自家薬籠中のものとして歌っていることが良く分かる好演でした。言葉は分からなくても、美しいメロディとハーモニーには感動しました。
そして合同合唱はデュオパのMISSE SOLENNELLE(荘厳ミサ)。
ステージから説明がありましたが、北村先生は3つやりたいことがある、と話したことがあったとのことです。
1.多田武彦作曲合唱組l曲「雨」の演奏
2.福永陽一郎編「コーラスアルバム」の全曲録音(注)
3.デュオパのMISSE SOLENNELLE(荘厳ミサ)の演奏
「雨」は2006年2月26日大阪シンフォニーホールでの関学グリー・リサイタルで歌われたのを私も聴きました。
そして、今回の演奏会でのMISSE SOLENNELLEの演奏は、先生のご遺志を継いだものとなりました。
演奏会用のミサ曲と思うのですが、やはり演奏会用に作曲されたケルビーニの「レクイエム」のやや派手と言っても良い作品に比べて、決して派手ではありませんが、聴く者の胸に迫るメロディとハーモニーには本当に魅せられます。心に残る演奏会でした。
演奏会終了後のレセプションにも参加し、この4大学の出身でもないのに、ここ10年余の間に知己を得た大勢の皆さんに数年振りにお会いでき、楽しい時間をすごしました。
これからも北村先生を軸にして皆さんと会う機会があることを期待しております。
北村先生、ありがとうございました。
(前回書きましたが、用意して持参したDVDを福永先生の奥方に無事お渡しすることも出来ました。)
(注)(関係者のお話によると)北村先生はご病気が発覚する直前から、福永先生とお2人で編集し、録音した「グリークラブアルバム」の中の何曲かの再録音と(ピアノ伴奏の曲も含めて)新しい曲の録音を希望され、選曲もほぼ終わって準備を進めていたのだそうです。完成していたらさぞ素敵なアルバムが出来ていたことでしょう。実に残念です。
ホールのほんの少し手前で東京スカイツリーが真正面に見える横丁があり、私は初めて見たので写真を撮っていたら、後から来た人たちも気がついて、大勢の方がカメラを向けていました。

邪魔者無しに東京スカイツリーの全体が見えた

すみだトリフォニー
プログラムの表紙は凝ったデザインで、スキャンしてご覧に入れるのに、コントラストを上げたり、明るくしたり、文字が見えるように大変苦労しました。

"MISSION"、月日、ホール名を読めますか?
演奏は、4つの単独ステージと合同合唱でした。

プログラムの演奏曲目
第1ステージ:関学グリーのSpiritualsの選曲は、堅い曲が並びがちなこのような形式の演奏会では大事な配慮で、よく知られた曲を聴いて私などは昔を懐かしく思い出していました。
第2ステージ:上智グリーの委嘱作品の3組曲から4曲を歌いましたが、どの曲も詩の内容が軽く、言葉を聞き取れても「それでどうしたの?」といった感じで、気持ちに訴えるものが無かったのが残念でした。ところで、3曲目の「老雪」の歌詞が聞き取れなかったのは何故だったのでしょうか。
第3ステージ:同志社グリーは定番「水のいのち」の抜粋を歌いましたが、何故歌われる機会が多いのかが良く分かりました。分かりやすい内容の歌詞が良く聞き取れて、かつ、きれいなメロディにあふれる作曲とがあいまって、歌っても聴いても心地よい曲なのです。(演奏の良いことももちろんですが。)
第4ステージ:ブラームスの"Naenie"("ae"は正しくはaウムラウト)を歌った立教グリーは、32人中楽譜を持っていたのはたった5人、自家薬籠中のものとして歌っていることが良く分かる好演でした。言葉は分からなくても、美しいメロディとハーモニーには感動しました。
そして合同合唱はデュオパのMISSE SOLENNELLE(荘厳ミサ)。
ステージから説明がありましたが、北村先生は3つやりたいことがある、と話したことがあったとのことです。
1.多田武彦作曲合唱組l曲「雨」の演奏
2.福永陽一郎編「コーラスアルバム」の全曲録音(注)
3.デュオパのMISSE SOLENNELLE(荘厳ミサ)の演奏
「雨」は2006年2月26日大阪シンフォニーホールでの関学グリー・リサイタルで歌われたのを私も聴きました。
そして、今回の演奏会でのMISSE SOLENNELLEの演奏は、先生のご遺志を継いだものとなりました。
演奏会用のミサ曲と思うのですが、やはり演奏会用に作曲されたケルビーニの「レクイエム」のやや派手と言っても良い作品に比べて、決して派手ではありませんが、聴く者の胸に迫るメロディとハーモニーには本当に魅せられます。心に残る演奏会でした。
演奏会終了後のレセプションにも参加し、この4大学の出身でもないのに、ここ10年余の間に知己を得た大勢の皆さんに数年振りにお会いでき、楽しい時間をすごしました。
これからも北村先生を軸にして皆さんと会う機会があることを期待しております。
北村先生、ありがとうございました。
(前回書きましたが、用意して持参したDVDを福永先生の奥方に無事お渡しすることも出来ました。)
(注)(関係者のお話によると)北村先生はご病気が発覚する直前から、福永先生とお2人で編集し、録音した「グリークラブアルバム」の中の何曲かの再録音と(ピアノ伴奏の曲も含めて)新しい曲の録音を希望され、選曲もほぼ終わって準備を進めていたのだそうです。完成していたらさぞ素敵なアルバムが出来ていたことでしょう。実に残念です。
今年もよろしくお願いいたします。 [ごあいさつ]

曇りと言う天気予報を信じて初日の出は拝めないと思い、出遅れたために高く上がった太陽(神奈川・江の島)

頂上のほうがわずかに見えた富士山
2012年に入ってもう10日、1年の3%がもう過ぎたかと思うと、まあ、時間が経つことの早さには驚くほどです。
昨年の東日本大震災では、三陸から仙台にかけて多くの知り合いが家を流されましたが、命が無事だっただけでも良かった、と慰めるほかはありませんでした。
今年の合唱は、1月15日の「北村協一メモリアルコンサートMISSION」から始まります。
そこでふと、福永陽一郎還暦記念コンサートで、福永さん、畑中良輔、北村さんの3人がステージ上で話した光景を思い出しました。1986年9月13日、場所は新宿の厚生年金会館大ホール、前の年に購入したVHSテープを使用する1貫目ほどの重さがあり、結構大きい携帯用ヴィデオカメラを持って会場に行き、ステージやその後の東京大飯店でのパーティを撮った記憶があり、テープを探しました。
ありました。内容を見たら、当時のNi-Cd電池が短時間しか使えないことを気にしてか、細切れで撮影していますが、福永さんを主に確かに写っていました。また、北村さんはほとんど声を出さず、畑中さんだけがしゃべっているのも気になりました。
15日の演奏会には福永夫人も会場にいらっしゃると思うので、差し上げるべく、DVDにしました。
さて、今年はどんなテーマで書くことになるかまだ分かりませんが、よろしくお願いいたします。
合唱好きが我慢できずにひとこと(6:最終回) [私の意見]
それでは、いったいどうしたら作曲家に聴衆に楽しんでもらえるような作品を作曲してもらえるのでしょうか。
それは、実は簡単なことです。
組曲主義の「会う時はいつも他人」みたいな、演奏会に行くたびに違う曲目を聴かせられる演奏会を止めれば良いのです。
作曲しても歌われないと言うことが分かれば、作曲家は考えるでしょう。どうしても自分で作曲したい曲と、(飯を食うためかどうかは別として)みんなに歌ってもらえる曲とを自分の中で区分けすることを覚えるでしょう。「素人は自分の芸術を理解してくれない。」などと考えるとしたら、それはプロではありません。難しくても、とっつきにくくても、良いものは良いと判断できる合唱人は少なからずいて、正当な判断が出来ます。そして、歌う側や聴く側が、作曲家の勝手にはならないと言うことを示すことが大事なのです。(今回は最終回ですので、少々長くなるのをお許しください。)
実は、組曲主義の弊害に気づいて、ネットで歴史のある合唱団2つの10年間の定期演奏会で取り上げた曲目を調べてみたことがありました。これらの合唱団は意欲的な活動をしており、海外作曲家の作品、オペラ合唱曲、日本民謡なども比較的多く取り上げています。それでも、ひとつは、10年間の総ステージ数37(平均3.7ステージ/演奏会)の中で、邦人作曲家の組曲は17で約46%、それらはすべて1回のみの演奏でした。もうひとつの合唱団は10年間の全40ステージ(平均4ステージ/演奏会)の中で、邦人作曲家の組曲は21で約53%で、こちらもすべて1回のみの演奏でした。(皆さんも是非、ご自分の合唱団で調べてみてください。)
まあ、全ステージの約半分は邦人作曲家の組曲であり、一度取り上げると10年間で再演されることが無かったのですから、組曲を選ぼうとしたら、善し悪し、好き嫌いはさておいて、どんな組曲でも歌わざるを得なくなるのは当然でしょう。
それでは、組曲主義からどうやって脱出すれば良いか?
組曲を主体とした構成を止めて、演奏会やステージの趣旨やテーマにそって単曲を集めた構成のステージにすれば良いのです。組曲主体のステージ構成に慣れていると最初は不安かもしれません。しかし、(私の知っている限りでは)組曲と言うものがほとんど無い欧米の合唱団の演奏会では当然のことなのです。
オルフェイ・ドレンガー(OD)の演奏会は、来日した時の演奏会は2ステージでしたが、これはスウェーデンで聴いても同じでした。(150周年記念演奏会の時もプログラムには2ステージの曲目が印刷されていました。ただ、最後に現役、OB合同でエリック・エリクソンの指揮で歌ったステージが付け加えられましたが、まあ、これは記念演奏というか、アンコール・ステージといった形でしょう。)
ヘルシンキ大学男声合唱団が来日した時の演奏会もたしか、2ステージ構成でした。
そんなことを念頭において、次の提案をして私の「ひとこと」を終わらせたいと思います。
提案1:「団員も聴衆も喜ばないような組曲は歌わない」
作曲家に聴衆に楽しんでもらえるような作品を作曲してもらうもっとも良い方法です。
作曲家がどんな詩を選ぼうが、どんな難解な作品を作曲しようが、作曲するのは個人の自由ですから勝手です。だから、合唱団としては、自分たちで歌って楽しくなさそうな曲、聴衆に喜んでもらえないような曲を選ばなければ良いのです。また、聴衆の皆さんも我慢をしないことです。面白くなかったら面白くないと、難解な曲なら分からないと、つまらなかったらつまらないと、合唱団に対して意思表示をするべきです。演奏する側だって内心では「こんな曲は聴衆も喜ばないだろうな」と疑問を持ちながら歌うこともあるのですから、そんな時に聴衆が異議を唱えれば反省するでしょう。しかし、聴衆が異議を唱えなければ「こんなものでもありか」と思い、変わりません。歌う側や聴く側が作品に異を唱え、歌わなければ良いのです。これまでどんな曲でも歌ってきたのが諸悪の根源だったのです。
このような活動を続けてゆけば、作曲家も目が覚めるのではないでしょうか。
提案2:「組曲を取り上げないと演奏会のステージを構成できないという意見に対して」
組曲を入れないと演奏会のプログラム・ビルディングが難しいとお考えの合唱団は、あまりにも旧弊というか悪弊に捉われすぎです。
世界に目を向けますと、スウェーデンで出版されている男声合唱曲の楽譜をまとめて大量に購入したことがありましたが、ほとんどがピースで、組曲らしい(?)のは4曲が1冊にまとめられたバルトークの「古いハンガリア民謡」があったくらいでした。私が知っている限りでは、韓国、ドイツ、アメリカも同様に組曲は無いと言って良いようです。
そう考えれば、組曲は、作曲家と、ピースで売るより曲集にしたほうが単価が高いという楽譜出版社の利害が一致したために、日本で独自の発展をした合唱曲のスタイルなんでしょうね。(これもガラパゴス現象?)
しかし、演奏会に当たって、組曲を順不同、行き当たりばったりにステージ数に当てはめれば良いというものではないと思うのです。
どんな舞台芸術でも、プロでもアマチュアでも基本的な考え方は同じだと思いますが、聴衆をどうやって楽しませるかを考えることが大切です。それがほとんどの合唱団にはこれまで欠けていたと思うのです。
演奏会全体にテーマを決めるか、演奏会を2~3ステージ構成とし、流れを考えて各ステージのテーマを決めて選曲するのです。
選曲の対象となる曲目は、国内外を問わず、ジャンルを問わず(オペレッタ、ミュージカル、ジャズ、民謡、時には歌謡曲などなんでも)、組曲はばらして単曲にし、ステージの趣旨や構成を考えて、多くの曲目の中から組み合わせるのです。
まあ、以下は組曲にとらわれないプログラム・ビルディングのアプローチとして考えたものです。(思いつくまま、順不同、ご参考までに。)
1.その年の定演が合唱団にとってどんな意味があるのか:創立以来5年、10年、25年といった区切りの良い年とか、演奏旅行とか亡くなった団員を偲ぶとかいった特別な出来事のあった年とか、
2.この区切りをプログラム・ビルディングにどう反映させれば良いか:これまでの演奏会で評判の良かった曲を並べたステージとか、演奏旅行先に関係した曲を並べるとか、
3.ステージにテーマをつける:定演の時期によって季節感のあるテーマとか(例、春「花」、夏「海、山」、秋「収穫、紅葉、祭」、冬「雪、スキー、クリスマス、お正月」)、時には世界巡りやアジア巡り、ジャンル別(例、アフリカン・アメリカン・ソング、オペラやオペレッタ、各国の作曲家の作品、カンツォーネ、各国の民謡、)とか、
4.地元重視:地元の民謡、ご当地ソング、地元出身の作曲家の作品とか、
5.持ち歌の充実:演奏会で評判の良かった曲や団員が特に気に入った曲を合唱団の「持ち歌」として、数年に1回はステージで歌い、聴衆にも親しんでもらうようにするとか、「またあの曲か」と言われようが「のばら」を毎年歌うよりは良いのでは、
6.ステージ数:あるテーマで選曲すると10曲ぐらいは普通なので、大体は2ステージ、多くても3ステージ構成になるのではないか、無理に4ステージにこだわることは無い、
7.笑いの無い舞台芸術は淋しい:ナレーションや選曲の中で、笑いをとる工夫をするのは大事なことで、棒のように突っ立って歌うのをただ聴くだけではつまらないと思うべき(あのODだって工夫をしていることはご存知のとおりです)、
8.驚きの曲を入れる:聴衆の意想外の曲として例えば、きわめて複雑なハーモニーの曲を上手く歌う、きわめて短い曲(ODが1~2小節の曲を歌っている)、際立ってテンポの速い「早口言葉」のような曲、オーケストラの曲の各楽器パートを声で歌う、口をあけるが声を出さず表情だけの合唱とか、
9.いつも全団員で歌うのは変:そもそも可愛らしい童謡を100人で歌うなんておかしいのだから、曲によって大人数にしたり少人数にしたりしての合唱とか、男声合唱団でも曲によっては女声を入れるとか、
10.曲のつなぎ:関連の乏しい曲を並べる時には曲をつなぐナレーションは大切、つなぎの間奏も有効、ビデオを背景に映すのも良いか、
私の独断的な説に長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。それもこれも、はじめに書きましたように、永年合唱をやってきた人間が聴く側に立場が変わって、日本の合唱が面白くないことに(遅ればせながら)気がついて考えたことです。
合唱団は、演奏会では聴衆を楽しませる工夫をいろいろ考えて、合唱が市民権を再び得るように努めて欲しいと心から願う次第です。(終)
それは、実は簡単なことです。
組曲主義の「会う時はいつも他人」みたいな、演奏会に行くたびに違う曲目を聴かせられる演奏会を止めれば良いのです。
作曲しても歌われないと言うことが分かれば、作曲家は考えるでしょう。どうしても自分で作曲したい曲と、(飯を食うためかどうかは別として)みんなに歌ってもらえる曲とを自分の中で区分けすることを覚えるでしょう。「素人は自分の芸術を理解してくれない。」などと考えるとしたら、それはプロではありません。難しくても、とっつきにくくても、良いものは良いと判断できる合唱人は少なからずいて、正当な判断が出来ます。そして、歌う側や聴く側が、作曲家の勝手にはならないと言うことを示すことが大事なのです。(今回は最終回ですので、少々長くなるのをお許しください。)
実は、組曲主義の弊害に気づいて、ネットで歴史のある合唱団2つの10年間の定期演奏会で取り上げた曲目を調べてみたことがありました。これらの合唱団は意欲的な活動をしており、海外作曲家の作品、オペラ合唱曲、日本民謡なども比較的多く取り上げています。それでも、ひとつは、10年間の総ステージ数37(平均3.7ステージ/演奏会)の中で、邦人作曲家の組曲は17で約46%、それらはすべて1回のみの演奏でした。もうひとつの合唱団は10年間の全40ステージ(平均4ステージ/演奏会)の中で、邦人作曲家の組曲は21で約53%で、こちらもすべて1回のみの演奏でした。(皆さんも是非、ご自分の合唱団で調べてみてください。)
まあ、全ステージの約半分は邦人作曲家の組曲であり、一度取り上げると10年間で再演されることが無かったのですから、組曲を選ぼうとしたら、善し悪し、好き嫌いはさておいて、どんな組曲でも歌わざるを得なくなるのは当然でしょう。
それでは、組曲主義からどうやって脱出すれば良いか?
組曲を主体とした構成を止めて、演奏会やステージの趣旨やテーマにそって単曲を集めた構成のステージにすれば良いのです。組曲主体のステージ構成に慣れていると最初は不安かもしれません。しかし、(私の知っている限りでは)組曲と言うものがほとんど無い欧米の合唱団の演奏会では当然のことなのです。
オルフェイ・ドレンガー(OD)の演奏会は、来日した時の演奏会は2ステージでしたが、これはスウェーデンで聴いても同じでした。(150周年記念演奏会の時もプログラムには2ステージの曲目が印刷されていました。ただ、最後に現役、OB合同でエリック・エリクソンの指揮で歌ったステージが付け加えられましたが、まあ、これは記念演奏というか、アンコール・ステージといった形でしょう。)
ヘルシンキ大学男声合唱団が来日した時の演奏会もたしか、2ステージ構成でした。
そんなことを念頭において、次の提案をして私の「ひとこと」を終わらせたいと思います。
提案1:「団員も聴衆も喜ばないような組曲は歌わない」
作曲家に聴衆に楽しんでもらえるような作品を作曲してもらうもっとも良い方法です。
作曲家がどんな詩を選ぼうが、どんな難解な作品を作曲しようが、作曲するのは個人の自由ですから勝手です。だから、合唱団としては、自分たちで歌って楽しくなさそうな曲、聴衆に喜んでもらえないような曲を選ばなければ良いのです。また、聴衆の皆さんも我慢をしないことです。面白くなかったら面白くないと、難解な曲なら分からないと、つまらなかったらつまらないと、合唱団に対して意思表示をするべきです。演奏する側だって内心では「こんな曲は聴衆も喜ばないだろうな」と疑問を持ちながら歌うこともあるのですから、そんな時に聴衆が異議を唱えれば反省するでしょう。しかし、聴衆が異議を唱えなければ「こんなものでもありか」と思い、変わりません。歌う側や聴く側が作品に異を唱え、歌わなければ良いのです。これまでどんな曲でも歌ってきたのが諸悪の根源だったのです。
このような活動を続けてゆけば、作曲家も目が覚めるのではないでしょうか。
提案2:「組曲を取り上げないと演奏会のステージを構成できないという意見に対して」
組曲を入れないと演奏会のプログラム・ビルディングが難しいとお考えの合唱団は、あまりにも旧弊というか悪弊に捉われすぎです。
世界に目を向けますと、スウェーデンで出版されている男声合唱曲の楽譜をまとめて大量に購入したことがありましたが、ほとんどがピースで、組曲らしい(?)のは4曲が1冊にまとめられたバルトークの「古いハンガリア民謡」があったくらいでした。私が知っている限りでは、韓国、ドイツ、アメリカも同様に組曲は無いと言って良いようです。
そう考えれば、組曲は、作曲家と、ピースで売るより曲集にしたほうが単価が高いという楽譜出版社の利害が一致したために、日本で独自の発展をした合唱曲のスタイルなんでしょうね。(これもガラパゴス現象?)
しかし、演奏会に当たって、組曲を順不同、行き当たりばったりにステージ数に当てはめれば良いというものではないと思うのです。
どんな舞台芸術でも、プロでもアマチュアでも基本的な考え方は同じだと思いますが、聴衆をどうやって楽しませるかを考えることが大切です。それがほとんどの合唱団にはこれまで欠けていたと思うのです。
演奏会全体にテーマを決めるか、演奏会を2~3ステージ構成とし、流れを考えて各ステージのテーマを決めて選曲するのです。
選曲の対象となる曲目は、国内外を問わず、ジャンルを問わず(オペレッタ、ミュージカル、ジャズ、民謡、時には歌謡曲などなんでも)、組曲はばらして単曲にし、ステージの趣旨や構成を考えて、多くの曲目の中から組み合わせるのです。
まあ、以下は組曲にとらわれないプログラム・ビルディングのアプローチとして考えたものです。(思いつくまま、順不同、ご参考までに。)
1.その年の定演が合唱団にとってどんな意味があるのか:創立以来5年、10年、25年といった区切りの良い年とか、演奏旅行とか亡くなった団員を偲ぶとかいった特別な出来事のあった年とか、
2.この区切りをプログラム・ビルディングにどう反映させれば良いか:これまでの演奏会で評判の良かった曲を並べたステージとか、演奏旅行先に関係した曲を並べるとか、
3.ステージにテーマをつける:定演の時期によって季節感のあるテーマとか(例、春「花」、夏「海、山」、秋「収穫、紅葉、祭」、冬「雪、スキー、クリスマス、お正月」)、時には世界巡りやアジア巡り、ジャンル別(例、アフリカン・アメリカン・ソング、オペラやオペレッタ、各国の作曲家の作品、カンツォーネ、各国の民謡、)とか、
4.地元重視:地元の民謡、ご当地ソング、地元出身の作曲家の作品とか、
5.持ち歌の充実:演奏会で評判の良かった曲や団員が特に気に入った曲を合唱団の「持ち歌」として、数年に1回はステージで歌い、聴衆にも親しんでもらうようにするとか、「またあの曲か」と言われようが「のばら」を毎年歌うよりは良いのでは、
6.ステージ数:あるテーマで選曲すると10曲ぐらいは普通なので、大体は2ステージ、多くても3ステージ構成になるのではないか、無理に4ステージにこだわることは無い、
7.笑いの無い舞台芸術は淋しい:ナレーションや選曲の中で、笑いをとる工夫をするのは大事なことで、棒のように突っ立って歌うのをただ聴くだけではつまらないと思うべき(あのODだって工夫をしていることはご存知のとおりです)、
8.驚きの曲を入れる:聴衆の意想外の曲として例えば、きわめて複雑なハーモニーの曲を上手く歌う、きわめて短い曲(ODが1~2小節の曲を歌っている)、際立ってテンポの速い「早口言葉」のような曲、オーケストラの曲の各楽器パートを声で歌う、口をあけるが声を出さず表情だけの合唱とか、
9.いつも全団員で歌うのは変:そもそも可愛らしい童謡を100人で歌うなんておかしいのだから、曲によって大人数にしたり少人数にしたりしての合唱とか、男声合唱団でも曲によっては女声を入れるとか、
10.曲のつなぎ:関連の乏しい曲を並べる時には曲をつなぐナレーションは大切、つなぎの間奏も有効、ビデオを背景に映すのも良いか、
私の独断的な説に長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。それもこれも、はじめに書きましたように、永年合唱をやってきた人間が聴く側に立場が変わって、日本の合唱が面白くないことに(遅ればせながら)気がついて考えたことです。
合唱団は、演奏会では聴衆を楽しませる工夫をいろいろ考えて、合唱が市民権を再び得るように努めて欲しいと心から願う次第です。(終)
三木 稔さんが亡くなられました [ご紹介]
男声合唱をやっている方はよくご存知の、合唱による風土記「阿波」や、バリトン独唱、男声合唱及びオーケストラのための「レクイエム」を作曲した作曲家 三木 稔さんが12月8日早朝、前立腺がんのためにお亡くなりになりました。享年81歳でした。

朝日新聞(2011年12月9日付訃報)
お通夜は11日午後6時から、葬儀は12日正午から、川崎市多摩区南生田の春秋苑・白蓮華堂で、琴平宮の神官による神式で執り行われました。
苦しむことなく息を引き取られたとのことで、お別れをしたら大変安らかなお顔をしておられました。

春秋苑(晴天に恵まれました)

春秋苑・白蓮華堂
私は三木さんとは1966年からのお付き合いで、1968年には合唱団のドイツ演奏旅行でご一緒しました。
筝曲の演奏会で、何曲かを連続して演奏する時に曲の調が変わるたびに楽器を代える煩わしさを解決する方法を、この旅行中に三木さんは、同行した筝奏者の野坂恵子(現・繰壽)さんと話し合っていました。その結果が数年後に二十弦筝として実を結び、二十弦筝のための曲を数多く作曲なさいました。(初期の「佐保の曲、竜田の曲」は大好きな曲です。)
邦楽器のオーケストラ、日本音楽集団を1964年に結成して、集団のためにも多くの曲を書いておられました。(初めて「巨火」を聴いた時の感動は忘れられません。)
その後、邦楽器の延長線上のアジアの楽器にも範囲を広げ、中国琵琶の天才奏者シズカ楊静や、彼女を中心としたアジア アンサンブルの結成にまでいたりました。(東京でのシズカ楊静の演奏会を聴きに行った時には、演奏会後の打ち上げに同席させていただくという嬉しい出来事がありました。)
そして、ライフワークとして並々ならぬ力を入れられたのが、「春琴抄」に始まる「三木稔、日本史オペラ9連作」で、時々いただくメールで進捗を知り、その熱い思いを強く感じたものでした。
話は変わりますが、2003年にスウェーデンで開催されたオルフェイ・ドレンガーの150周年記念式典に参加した時に、2005年の日本ツアーで歌う作品を日本の作曲家に委嘱するという話を聞いたので三木さんに打診したら、忙しくて受けられないとの返事でした。(もっともすでに池辺晋一郎に委嘱済みだったようでしたが。)
三木さんに是非完成して欲しい作品がありました。それは、八重山の英雄伝説をテーマにした長編叙事詩「オヤケ・アカハチ」(伊波 哲)をオラトリオ風に作曲しようというアイデアを40数年前に持っていたのです。
数年前に、三木さんに「完成させませんか」と提案したら、もう資料も散逸したし、(お病気になってからでしたので)それに割く時間もないとのことでした。沖縄が本土に翻弄されている今、八重山の英雄オヤケ・アカハチを取り上げた作品は大きな意味があったろうにと思うと、本当に残念でなりません。
素晴らしい作曲家を失ったことを心より残念に思います。
安らかにおやすみください。(合掌)

朝日新聞(2011年12月9日付訃報)
お通夜は11日午後6時から、葬儀は12日正午から、川崎市多摩区南生田の春秋苑・白蓮華堂で、琴平宮の神官による神式で執り行われました。
苦しむことなく息を引き取られたとのことで、お別れをしたら大変安らかなお顔をしておられました。

春秋苑(晴天に恵まれました)

春秋苑・白蓮華堂
私は三木さんとは1966年からのお付き合いで、1968年には合唱団のドイツ演奏旅行でご一緒しました。
筝曲の演奏会で、何曲かを連続して演奏する時に曲の調が変わるたびに楽器を代える煩わしさを解決する方法を、この旅行中に三木さんは、同行した筝奏者の野坂恵子(現・繰壽)さんと話し合っていました。その結果が数年後に二十弦筝として実を結び、二十弦筝のための曲を数多く作曲なさいました。(初期の「佐保の曲、竜田の曲」は大好きな曲です。)
邦楽器のオーケストラ、日本音楽集団を1964年に結成して、集団のためにも多くの曲を書いておられました。(初めて「巨火」を聴いた時の感動は忘れられません。)
その後、邦楽器の延長線上のアジアの楽器にも範囲を広げ、中国琵琶の天才奏者シズカ楊静や、彼女を中心としたアジア アンサンブルの結成にまでいたりました。(東京でのシズカ楊静の演奏会を聴きに行った時には、演奏会後の打ち上げに同席させていただくという嬉しい出来事がありました。)
そして、ライフワークとして並々ならぬ力を入れられたのが、「春琴抄」に始まる「三木稔、日本史オペラ9連作」で、時々いただくメールで進捗を知り、その熱い思いを強く感じたものでした。
話は変わりますが、2003年にスウェーデンで開催されたオルフェイ・ドレンガーの150周年記念式典に参加した時に、2005年の日本ツアーで歌う作品を日本の作曲家に委嘱するという話を聞いたので三木さんに打診したら、忙しくて受けられないとの返事でした。(もっともすでに池辺晋一郎に委嘱済みだったようでしたが。)
三木さんに是非完成して欲しい作品がありました。それは、八重山の英雄伝説をテーマにした長編叙事詩「オヤケ・アカハチ」(伊波 哲)をオラトリオ風に作曲しようというアイデアを40数年前に持っていたのです。
数年前に、三木さんに「完成させませんか」と提案したら、もう資料も散逸したし、(お病気になってからでしたので)それに割く時間もないとのことでした。沖縄が本土に翻弄されている今、八重山の英雄オヤケ・アカハチを取り上げた作品は大きな意味があったろうにと思うと、本当に残念でなりません。
素晴らしい作曲家を失ったことを心より残念に思います。
安らかにおやすみください。(合掌)
なかにし礼氏の日本語「第九」 [感想]
12月1日にあった「第九」の演奏会の模様を民放のニュースで聴きました。この「第九」の演奏の特徴は、なかにし礼氏が歌詞を日本語にしたということで、氏が20数年前に、歌詞を日本語にすれば気持ちが通じるのではないか、と気づいて、具現化したというのです。(1987年に出版)ネットで調べたら、下記の情報が見つかり、歌詞も一部分かりました。
日本語によるベートーヴェン交響曲第9番
http://blogs.yahoo.co.jp/geezenstac/38735835.html
「(前略)このなかにし氏の訳詞は「Freude」を「歓喜」ではなくて「愛」という言葉に置き換えています。当時はどんな歌になるのだろうかとやや疑問に思っていましたが、じっさいにこうして聴いてみるとやはり最初は違和感がありました。ただ、何回も繰り返し聴き込むと、この「愛」に託された言葉の重みがだんだん分かるようになり、今ではすんなりとこの訳詞に付いていくことができるようになりました。それは、次のようになっています。
我が友よ 歌うなら
もっと 快い歌を歌おう
歓びにみちた 歌を
愛 愛
愛こそ歓喜に導く光
遮る苦難を越えて進まん
歓喜の頂を踏みしめた時
我ら兄弟 世界は一つ
気高き乙女をかち得たものよ
手をとり歓喜の叫びをあげよ
人間一人で何が出来よう
愛なき孤独の人は立ち去れ
以下略
ここでは「歓喜」を目的語として捉え「愛」を主語に置く事によって不変の真理を示そうとしています。シラーの原詩を意訳しながら日本語に違和感無く移し替えた傑作でしょう。(後略)」
ここではずいぶん褒めていて、「何回も繰り返し聴き込むと、この「愛」に託された言葉の重みがだんだん分かるようになり、今ではすんなりとこの訳詞に付いていくことができるようになりました。」とか、「シラーの原詩を意訳しながら日本語に違和感無く移し替えた傑作でしょう。」とまで書いています。
「何回も繰り返し聴き込む」と書いてありますから、何らかの録音を聴いているので、もしかすると、歌詞を見ながら聴いていたのかもしれません。
私がニュースで演奏を聴いた時にはパネルに日本語で一部の歌詞を示していましたが、それを見た限り、あまり難解な単語はありませんし、上記ウエブサイトにある歌詞を読む限りは「シラーの原詩を意訳しながら日本語に違和感無く移し替えた」と書いていることに私も同感です。
ところが、ニュースで演奏を聴いた限り、合唱の日本語がほとんど聴き取れないのです。歌っているほうは、日本語ですから内容をよく理解できるし、気持ちも通じるでしょう。しかし、聴衆には言葉が伝わらないのですから、もちろん、気持ちも通じません。一体どうしたら良いのでしょうか。
日本語によるベートーヴェン交響曲第9番
http://blogs.yahoo.co.jp/geezenstac/38735835.html
「(前略)このなかにし氏の訳詞は「Freude」を「歓喜」ではなくて「愛」という言葉に置き換えています。当時はどんな歌になるのだろうかとやや疑問に思っていましたが、じっさいにこうして聴いてみるとやはり最初は違和感がありました。ただ、何回も繰り返し聴き込むと、この「愛」に託された言葉の重みがだんだん分かるようになり、今ではすんなりとこの訳詞に付いていくことができるようになりました。それは、次のようになっています。
我が友よ 歌うなら
もっと 快い歌を歌おう
歓びにみちた 歌を
愛 愛
愛こそ歓喜に導く光
遮る苦難を越えて進まん
歓喜の頂を踏みしめた時
我ら兄弟 世界は一つ
気高き乙女をかち得たものよ
手をとり歓喜の叫びをあげよ
人間一人で何が出来よう
愛なき孤独の人は立ち去れ
以下略
ここでは「歓喜」を目的語として捉え「愛」を主語に置く事によって不変の真理を示そうとしています。シラーの原詩を意訳しながら日本語に違和感無く移し替えた傑作でしょう。(後略)」
ここではずいぶん褒めていて、「何回も繰り返し聴き込むと、この「愛」に託された言葉の重みがだんだん分かるようになり、今ではすんなりとこの訳詞に付いていくことができるようになりました。」とか、「シラーの原詩を意訳しながら日本語に違和感無く移し替えた傑作でしょう。」とまで書いています。
「何回も繰り返し聴き込む」と書いてありますから、何らかの録音を聴いているので、もしかすると、歌詞を見ながら聴いていたのかもしれません。
私がニュースで演奏を聴いた時にはパネルに日本語で一部の歌詞を示していましたが、それを見た限り、あまり難解な単語はありませんし、上記ウエブサイトにある歌詞を読む限りは「シラーの原詩を意訳しながら日本語に違和感無く移し替えた」と書いていることに私も同感です。
ところが、ニュースで演奏を聴いた限り、合唱の日本語がほとんど聴き取れないのです。歌っているほうは、日本語ですから内容をよく理解できるし、気持ちも通じるでしょう。しかし、聴衆には言葉が伝わらないのですから、もちろん、気持ちも通じません。一体どうしたら良いのでしょうか。
北村協一メモリアルコンサート [ご紹介]
北村協一メモリアルコンサートのご案内をいただきました。

北村協一メモリアルコンサートMissionチラシ
名称:北村協一メモリアルコンサートMISSION
日時:2012年1月15日(日) 12時45分開場 13時30分開演
場所:すみだトリフォニー 大ホール(錦糸町)
合唱団:新月会(関西学院グリークラブOB)、上智大学グリークラブOB合唱団、同志社グリークラブOB合唱団、立教大学グリークラブOB男声合唱団
曲目:デュオーパ作曲 荘厳ミサ 全曲(合同演奏)、 他
ご案内のお手紙によると、亡くなられて6年の今年は先生の生誕80年の年だそうです。
前にも書いたことがありますが、私は先生とは学生時代はまったく接点が無かったのですが、1999年に初めてご縁が出来、その後はずいぶん親しくしていただきました。私が企画した演奏会のプログラムや著書にに一文を寄せてくださったり、関西の演奏会に伺った時にはご自分の楽屋に招いてくださったり、ご自宅に伺って美味しいコーヒーをご馳走になったこともありました。
東西四連の東京での演奏会を聴いていましたが、2005年の合同ステージの三木稔作曲「レクイエム」と、2006年2月の関学グリー・リサイタルの多田武彦作曲「雨」の2つ演奏は、私にとってもっとも強く印象に残っています。
先生の指揮による演奏を聴いて、日本の合唱に対する私の印象は大きく変わりました。そして、短い期間ではありましたが先生と親しくお付き合いできたことは、私にとってとても幸せなことだったと、今でも感じております。

北村協一メモリアルコンサートMissionチラシ
名称:北村協一メモリアルコンサートMISSION
日時:2012年1月15日(日) 12時45分開場 13時30分開演
場所:すみだトリフォニー 大ホール(錦糸町)
合唱団:新月会(関西学院グリークラブOB)、上智大学グリークラブOB合唱団、同志社グリークラブOB合唱団、立教大学グリークラブOB男声合唱団
曲目:デュオーパ作曲 荘厳ミサ 全曲(合同演奏)、 他
ご案内のお手紙によると、亡くなられて6年の今年は先生の生誕80年の年だそうです。
前にも書いたことがありますが、私は先生とは学生時代はまったく接点が無かったのですが、1999年に初めてご縁が出来、その後はずいぶん親しくしていただきました。私が企画した演奏会のプログラムや著書にに一文を寄せてくださったり、関西の演奏会に伺った時にはご自分の楽屋に招いてくださったり、ご自宅に伺って美味しいコーヒーをご馳走になったこともありました。
東西四連の東京での演奏会を聴いていましたが、2005年の合同ステージの三木稔作曲「レクイエム」と、2006年2月の関学グリー・リサイタルの多田武彦作曲「雨」の2つ演奏は、私にとってもっとも強く印象に残っています。
先生の指揮による演奏を聴いて、日本の合唱に対する私の印象は大きく変わりました。そして、短い期間ではありましたが先生と親しくお付き合いできたことは、私にとってとても幸せなことだったと、今でも感じております。
合唱好きが我慢できずにひとこと(5) [私の意見]
それではどうしたらよいか、と自問自答しても、万能薬を思いつくはずもありません。(妙案があれば今頃は状況がずっと良くなっているはずです。)
ただ、対症療法はいくつか思いつきます。
1.歌い方をいくら工夫しても、聴き取れない、意味が分からない言葉が歌詞にはあるということを前提に対策を考える。
2.聴いて意味が理解できるような詩を選んで作曲するように作曲者にお願いする。
1.は現状是認、もしくは、すでに存在する作品を歌うためにはどうしたら良いか、を考えることです。
私が在籍していたある合唱団で、30年以上前に、演奏会のプログラムに歌詞を印刷するだけでは不足なので、演奏前に曲目解説をすることを提案したことがありました。その時に、団内指揮者から「N饗が演奏会前に曲目解説をしているか」との理由で強硬に反対されたことがあります。
有名な、良く知られた交響曲2~3曲を演奏し、クラシック音楽の知識のある聴衆を相手のN饗の演奏会と、ほとんどの聴衆にとって初めて聴く曲を演奏する合唱演奏会とでは意味が違う、と反論したことを覚えています。そして、そんな考え方が幅を利かしているうちは、合唱には未来が無いと思ったものでした。
近時、オペラでは翻訳した歌詞を字幕でステージに表示する演奏会があります、これを合唱演奏会でも採用し、漢字かな混じり文の日本語の歌詞を表示すれば、聴衆の皆さんは助かるのではないでしょうか。もっと手軽には、模造紙に歌詞を印刷してステージ上に張り出す方法もあるでしょう。
2.は難しい話ですが、今後合唱フアンを増やす上ではもっとも効果があると思います。
「難しい」と書いたのは、どんな曲を作曲するかは、芸術家である作曲家の意思に関することだからです。選んだ詩がいくら難解だと他人が思っても、作曲家本人がそれに作曲したいと思うのは自由ですから、誰も反対出来ません。
まして、出来上がった曲を多くの合唱団が歌ってくれれば、作曲者は自分の作品を「良い作品」と多くの人が認めてくれたものと考えて(時には誤解して)、さらに同じような作品を作ることになるでしょう。
そうです、日本の合唱人や聴衆は、歌っても聴いても面白くない作品であっても、これまで異議を唱えることが無かったのです。それはそうでしょう、合唱団にとっては、自分で選んだ曲を歌うのですから、それが仮に面白くなくても「自己責任」なのです。
それが、委嘱して1回しか歌われないような作品や、歌っても聴いても面白くも可笑しくも無いような作品が作られ続ける大きな原因になってきたことを、合唱団の皆さんに理解して欲しいのです。そう考えると、合唱団の責任はとても大きいのです。
それでは、いったいどうしたら作曲家に聴衆に楽しんでもらえるような作品を作曲してもらえるのでしょうか。
(続く)
ただ、対症療法はいくつか思いつきます。
1.歌い方をいくら工夫しても、聴き取れない、意味が分からない言葉が歌詞にはあるということを前提に対策を考える。
2.聴いて意味が理解できるような詩を選んで作曲するように作曲者にお願いする。
1.は現状是認、もしくは、すでに存在する作品を歌うためにはどうしたら良いか、を考えることです。
私が在籍していたある合唱団で、30年以上前に、演奏会のプログラムに歌詞を印刷するだけでは不足なので、演奏前に曲目解説をすることを提案したことがありました。その時に、団内指揮者から「N饗が演奏会前に曲目解説をしているか」との理由で強硬に反対されたことがあります。
有名な、良く知られた交響曲2~3曲を演奏し、クラシック音楽の知識のある聴衆を相手のN饗の演奏会と、ほとんどの聴衆にとって初めて聴く曲を演奏する合唱演奏会とでは意味が違う、と反論したことを覚えています。そして、そんな考え方が幅を利かしているうちは、合唱には未来が無いと思ったものでした。
近時、オペラでは翻訳した歌詞を字幕でステージに表示する演奏会があります、これを合唱演奏会でも採用し、漢字かな混じり文の日本語の歌詞を表示すれば、聴衆の皆さんは助かるのではないでしょうか。もっと手軽には、模造紙に歌詞を印刷してステージ上に張り出す方法もあるでしょう。
2.は難しい話ですが、今後合唱フアンを増やす上ではもっとも効果があると思います。
「難しい」と書いたのは、どんな曲を作曲するかは、芸術家である作曲家の意思に関することだからです。選んだ詩がいくら難解だと他人が思っても、作曲家本人がそれに作曲したいと思うのは自由ですから、誰も反対出来ません。
まして、出来上がった曲を多くの合唱団が歌ってくれれば、作曲者は自分の作品を「良い作品」と多くの人が認めてくれたものと考えて(時には誤解して)、さらに同じような作品を作ることになるでしょう。
そうです、日本の合唱人や聴衆は、歌っても聴いても面白くない作品であっても、これまで異議を唱えることが無かったのです。それはそうでしょう、合唱団にとっては、自分で選んだ曲を歌うのですから、それが仮に面白くなくても「自己責任」なのです。
それが、委嘱して1回しか歌われないような作品や、歌っても聴いても面白くも可笑しくも無いような作品が作られ続ける大きな原因になってきたことを、合唱団の皆さんに理解して欲しいのです。そう考えると、合唱団の責任はとても大きいのです。
それでは、いったいどうしたら作曲家に聴衆に楽しんでもらえるような作品を作曲してもらえるのでしょうか。
(続く)
合唱好きが我慢できずにひとこと(4) [私の意見]
合唱の作曲家はどんなふうに詩を選ぶのでしょうか。
詩集を手にして、いくつかの詩を読んで、合唱作品にしたいという気持ちになった詩を決めるのでしょうね。
戦前の合唱コンクールで歌われた曲目を見ると欧米の作品が主で、邦人作曲家の作品はごく少ないことから考えて、日本の合唱曲はほぼ、第二次世界大戦後に発展したと考えて良いでしょう。
1948年の第1回全日本合唱コンクールで男声合唱の課題曲の公募作品から選ばれた清水脩の「秋のピエロ」は、後の男声合唱組曲「秋のピエロ」になりました。
清水 脩から作曲上の指導や助言を受けたと言われる多田武彦は、1954年に最初の男声合唱組曲「柳河風俗詩」を発表しました。
このお二人の作曲家が詩を選ぶのは、当時はある意味、楽だったことでしょう。なぜなら、日本語の詩による作品が作曲され始めたばかりの時代ですから、合唱作曲用の詩を自由に選ぶことができたと考えられるのです。
加えて、このお二人の作曲家の優れた才能のおかげで、「秋のピエロ」も「柳河風俗詩」も今でも歌い継がれています。これらの曲の魅力は、歌う側としてはもちろん、メロディやハーモニーと共に、美しい詩ですが、聴衆にとっても、聴いていて心地よい上に、歌詞がよく聴き取れることにあります。
堀口大学や北原白秋の詩は、読んでも聞いてもそれほど難解ではないことも指摘できると思います。
しかし、大勢の作曲家が多くの合唱作品を書くようになると、これまで取り上げられなかった残りの詩から選ばなければならないので、作曲家にとっては詩の選択範囲が狭まってくることが考えられます。
合唱作曲家は良い詩を選びたくても、気に入った詩を見つけたくても、もう無くなったということなのでしょうか。そんなことが影響しているのかどうか分かりませんが、近年は難解な詩や、長すぎる詩の合唱作品があり、歌詞を聴き取りにくいことがしばしばあります。
一方、読んでみてはそれほど難解ではないのに、合唱にすると歌詞を聴き取れない詩もあります。
たとえば、2008年に作曲された多田武彦の男声合唱組曲「春のいそぎ」は、私の大好きな詩人、伊東静雄の詩ですが、歌詞の中になかなか聴き取りにくい箇所があります。
読めば素晴らしい詩であることが了解できますし、多田さんの作品ですから、詩の言葉と意味を生かすべく、いろいろ工夫がなされています。それなのに、です。
「春の雪」
みささぎにふるはるの雪/枝透きてあかるき木々に/つもるともえせぬけはひは/
なく聲のけさはきこえず/まなこ閉ぢ百ゐむ鳥の/しつかなるはねにかつ消え/
ながめゐしわれが想ひに/下草のしめりもかすか/春來むとゆきふるあした
上記で、イタリック体にした部分、「みささぎ」、「えせぬ」、「百ゐむ鳥」といったところは聞きなれない古語です。「枝透きて」、「しつかなるはねにかつ消え」の「はねにかつ消え」、「ながめゐしわれが想ひに」の「ながめゐし」などは耳から聴いただけでは意味が取りにくい言葉です。
耳には、「ミササギ」、「エセヌ」、「ヒャクイムトリ」、「エダスキテ」、「ハネニカツキエ」、「ナガメイシ」と聴こえ、これらは、演奏を聴いて言葉は聴き取れたとしても、聴いた瞬間にその意味を理解することは至難の技です。
合唱団員は当然、漢字かな混じり文の詩を読んでいますし、練習で繰り返し歌っていますから、詩の情景をイメージしながら、感じながら歌うことが出来ます。
しかし、聴衆は違います。
聴衆にとって、言葉がリアルタイムで耳に入ってきますので、言葉を一瞬聞き逃したからといって、意味が分からなかったからといって、さかのぼって聴きなおすことは出来ません。まるで「一期一会」の言葉どおり、その音は一度きりしか聴こえないのです。肝心の言葉を聴き取れなかったら、その曲は意味がわからないままで終わるのです。
作曲家も合唱団も言葉を生かそうと努めているのに、そして母国語である日本語の作品を日本人が聴いているのに、聴衆はその歌詞を聴き取れない。
いったい、どうしたら良いのでしょうか。
(続く)
詩集を手にして、いくつかの詩を読んで、合唱作品にしたいという気持ちになった詩を決めるのでしょうね。
戦前の合唱コンクールで歌われた曲目を見ると欧米の作品が主で、邦人作曲家の作品はごく少ないことから考えて、日本の合唱曲はほぼ、第二次世界大戦後に発展したと考えて良いでしょう。
1948年の第1回全日本合唱コンクールで男声合唱の課題曲の公募作品から選ばれた清水脩の「秋のピエロ」は、後の男声合唱組曲「秋のピエロ」になりました。
清水 脩から作曲上の指導や助言を受けたと言われる多田武彦は、1954年に最初の男声合唱組曲「柳河風俗詩」を発表しました。
このお二人の作曲家が詩を選ぶのは、当時はある意味、楽だったことでしょう。なぜなら、日本語の詩による作品が作曲され始めたばかりの時代ですから、合唱作曲用の詩を自由に選ぶことができたと考えられるのです。
加えて、このお二人の作曲家の優れた才能のおかげで、「秋のピエロ」も「柳河風俗詩」も今でも歌い継がれています。これらの曲の魅力は、歌う側としてはもちろん、メロディやハーモニーと共に、美しい詩ですが、聴衆にとっても、聴いていて心地よい上に、歌詞がよく聴き取れることにあります。
堀口大学や北原白秋の詩は、読んでも聞いてもそれほど難解ではないことも指摘できると思います。
しかし、大勢の作曲家が多くの合唱作品を書くようになると、これまで取り上げられなかった残りの詩から選ばなければならないので、作曲家にとっては詩の選択範囲が狭まってくることが考えられます。
合唱作曲家は良い詩を選びたくても、気に入った詩を見つけたくても、もう無くなったということなのでしょうか。そんなことが影響しているのかどうか分かりませんが、近年は難解な詩や、長すぎる詩の合唱作品があり、歌詞を聴き取りにくいことがしばしばあります。
一方、読んでみてはそれほど難解ではないのに、合唱にすると歌詞を聴き取れない詩もあります。
たとえば、2008年に作曲された多田武彦の男声合唱組曲「春のいそぎ」は、私の大好きな詩人、伊東静雄の詩ですが、歌詞の中になかなか聴き取りにくい箇所があります。
読めば素晴らしい詩であることが了解できますし、多田さんの作品ですから、詩の言葉と意味を生かすべく、いろいろ工夫がなされています。それなのに、です。
「春の雪」
みささぎにふるはるの雪/枝透きてあかるき木々に/つもるともえせぬけはひは/
なく聲のけさはきこえず/まなこ閉ぢ百ゐむ鳥の/しつかなるはねにかつ消え/
ながめゐしわれが想ひに/下草のしめりもかすか/春來むとゆきふるあした
上記で、イタリック体にした部分、「みささぎ」、「えせぬ」、「百ゐむ鳥」といったところは聞きなれない古語です。「枝透きて」、「しつかなるはねにかつ消え」の「はねにかつ消え」、「ながめゐしわれが想ひに」の「ながめゐし」などは耳から聴いただけでは意味が取りにくい言葉です。
耳には、「ミササギ」、「エセヌ」、「ヒャクイムトリ」、「エダスキテ」、「ハネニカツキエ」、「ナガメイシ」と聴こえ、これらは、演奏を聴いて言葉は聴き取れたとしても、聴いた瞬間にその意味を理解することは至難の技です。
合唱団員は当然、漢字かな混じり文の詩を読んでいますし、練習で繰り返し歌っていますから、詩の情景をイメージしながら、感じながら歌うことが出来ます。
しかし、聴衆は違います。
聴衆にとって、言葉がリアルタイムで耳に入ってきますので、言葉を一瞬聞き逃したからといって、意味が分からなかったからといって、さかのぼって聴きなおすことは出来ません。まるで「一期一会」の言葉どおり、その音は一度きりしか聴こえないのです。肝心の言葉を聴き取れなかったら、その曲は意味がわからないままで終わるのです。
作曲家も合唱団も言葉を生かそうと努めているのに、そして母国語である日本語の作品を日本人が聴いているのに、聴衆はその歌詞を聴き取れない。
いったい、どうしたら良いのでしょうか。
(続く)
前の10件 | -






